印度ボンベイの仕事   6 Nov.,2000 起草
   電機メーカー30年在勤中、個人的に一番危機的で辛かったのが、この印度の仕事で、当時の自分たちの所掌にすれば、高々8億円くらいの低額物件ながら、我々本社技術部の人間には手間がかかる配電盤・開閉装置群(以下スイッチギアと略称する)であった。

   火力発電所の構成機器の中でゴロリンとした発電機や変圧器は、定格事項が決まり製作手配書を工場に流せば、あとは工場に任せておいて手間はさほどかからない。ところがスイッチギアは、補機といって、大小さまざまなファン、ポンプ駆動電動機などの動力や空調、照明他の電源を給電するためのコマチマした装置で、それらの負荷容量によって、配電電圧が異なるとともに開閉装置の仕組みも千差万別という具合である。

   この補機類を決めるのは、蒸気発生器(ボイラー)や蒸気タービン製造業者であり、容量変更、仕様変更が頻繁に発生し、電気設備製造担当のいわゆるエンジニアリングの下流にある我々は、スイッチギアのオシャカを作らされたり、納期遅れに曝され、まさに泣き面に蜂なのである。昭和57年頃の経済状況はどうだったか忘れたが、少ない受注状況の中で売り上げを増やすために輸出営業部門が屁みたいなものをダボハゼみたいに獲って来るなと言って恨んだが、受注してしまったものは製造しなければならないから辛い。

   高度成長の初期のころは、新鋭火力発電機器も米国電機メーカーと盛んに技術提携した流れで、電機品規格もNEMAとかアメリカ流のものに馴染んできたが、このスイッチギアは、印度がイギリスの植民地だった名残で英国のBritish Standard 規格準拠というから、我が方には、余計ややこしい仕事になったのだ。

   初めての海外出張の時、セイロン(現スリランカ)へ行ったが、この島が逆三角形の印度半島南端の東とすれば、 BOMBAY は印度半島西側中程にあり、此処が本案件の舞台である。普通、印度といえば、ニュデリーとかカルカッタを思い浮かべるが、BOMBAY は、地の利からヨーロッパ側との交易が盛んで、昔からそれなりに栄えた港湾都市のようである。しかし、スラム街もすぐそばにあって貧富の格差の大きいのが、初めての訪問ながら印象に残った。

   今回納入する電気機器は TROMBAY 500MW 火力発電所5号ユニット用で、タービン発電機、変圧器、高圧スイッチギアなど主要機器は米国GEが受注、400V系中圧以下のスイッチギアを当社が担当する事になっていた。

   このような大容量火力は普通は国営の筈だが、本件の客先は、TATA電力と言い、印度でも屈指の財閥との事であるから、珍しい民営の大火力発電所である。フォーメーションは TATA ELECTRIC COMPANIESーTATA CONSULTING ENGINEERSーKOTAKCO.(仲介デイラー)ー日本商社KGー当社、と言う形である。

   日本から商社の本社社員が随行、同社現地事務所が、エスコートしてくれたが、前述のように仕様決定の遅れから納期が逼迫していて、レターや図面のやり取りでは、もう間に合わない、従って現地に乗り込んで全ての問題を解決して来いという、まさに崖っぷちの社命で、冒頭に書いたように自分にとっては入社以来最大の危機的な状況で、これがうまく行かないと会社に多大な損失を与えるし、日本の国際的信用を失墜させるから、必死であった。

   そのような全くゆとりのない状況下で、しかも1週間足らずのせわしい出張だったので、写真は一枚も撮っておらず、申し訳ないが、このページを画像で、飾れない事を最初にお断りする。また、個人的な記録風の文字情報だけになる事をお許し頂きたい。

▼全行程ダイジェスト

   昭和57(1982)年11月07日(日) 11:00成田発、同日21:00ボンベイ空港着。
   11月08日(月)商社現地事務所、KOTAK、TCE表敬訪問、TROMBOY発電所調査、打ち合わせ。
   11月09日(火)商社現地事務所にて業務従事。
   11月10日(水)商社現地事務所にて業務従事。
   11月11日(木)商社現地事務所、KOTAK、TATA本社に幹部表敬訪問。TCE訪問後TROMBOY
     発電所調査、打合せ。
   11月12日(金)午前中、TROMBOY発電所にて打合せ。議事録確認、夕方空港へ。
     18:15ボンベイ空港発
   11月13日(土)14:00成田着

▼ボンベイ滞在中の活動

  11月07日(日)自宅出発5:40、電車乗り継ぎ渋谷、品川経由ホテル・パンパシフィック7:00頃着、キャセイ・リムジンで同ホテル7:30発、ホテルオークラ、帝国ホテル、銀座東急ホテル経由成田着9:40頃。商社本社0氏と合流。CX501便11:00成田発、15:00頃ホンコン着。CX751便15:25ホンコン発、バンコック・トランジット、19:00頃ボンベイ着(30分遅れ)商社現地事務所出迎車で約1時間半ボンベイ市内の宿舎OBEROI TOWERS 着。

   11月08日(月) 9:30商社現地事務所、11:00 KOTAK、11:30 TCE幹部表敬訪問、14:00昼食、15:30〜18:00 TCE 打ち合わせ、TROMBOY 発電所調査。建物は既に出来ていて、GE製の各種発電設備も搬入・据付中。

   11月09日(火) 9:30商社現地事務所、東京よりTLX(テレックスの略称)入電、11/6 TATA 質問状に対して昨 11/8 の打ち合わせ結果を反映したTLXをこちらから、東京に打電。電話を申し込んだが、この日つながらず。建物の外は風雨が激しく、あれはサイクロンと言っていた。御当地の台風のことのようだ。

   11月10日(水) 7:50〜7:56 東京より宿舎 OBEROI TOWERSROOM NO.3229 の小生の所に国際電話あるも、当方の声が東京に聞こえず、TLXするといって東京側で電話をカット。9:45商社現地事務所、東京より13:00過ぎるも回答無く、朝申し込んでおいた国際電話が東京につながり15:40〜16:30 東京へ以下電話した(49分1,372Rs)。
       (1)Cable glandはコーキング材とパテーで対処。日本では補機駆動電動機の容量が大きくなり、例えば150KW超だと400V級ではなく高圧3000V級や6000V級にするが、ここでは200KW位まで400Vとされた。従って、電流が格段に大きくなるので許容電流密度から導体が太くなる。更に鋼帯鎧装仕様により動力ケーブルの仕上がり外径が格段に大きくなって、標準仕様の中圧、低圧スイッチギアとの接続が難しくなる。つまり、ケーブルは10R(ジュウアール)といって、ケーブル直径の10倍の曲率半径の曲がりを取らないと直角には曲がらない。水平に這ってきたパワーケーブルをスイッチギアの上部又は下部から引き込むには、遊びの空間スペースが必要で、特殊な接続盤を追加しなければならなかった。
       (2)Wooden cable support の特徴、内容。
       (3)故障表示方式は納期の点から当社方式で。
       (4)低電圧母線切替方式も当社方式で。
       (5)DC24V制御継電器の事。

   11月10日(水) 7:50〜7:56 東京より宿舎 OBEROI TOWERS ROOM NO.3229 の小生の所に国際電話あるも、当方の声が東京に聞こえず、TLXする。

   11月11日(木) 7:20〜8:25 東京より宿舎 OBEROI TOWERS ROOM NO.3229 の小生の所に国際電話。
       (1)直流回路の接地継電器、動作感度については、客先に取扱説明書を出して説明し了解もらっている事。
       (2)電流乾燥については、熱動継電器動作中に混触の恐れ有り、DC24V 電源のノーヒューズ遮断器を切れとの注意銘板を付ける事にした。10/13 船積み以前のもの全てに付ける手配を要す。自動切替は出来ない。
       (3)低圧スイッチギアにはシリカボードが使えない。従って gland plateに一括のケーブル穴を開けて、当社製の時間と共に固まるseal材を使用する事とした。
       (4)Wooden cable support は発火点がポリエステルに比較して低く、CO,CO2,Cl,エタン,メタンなど有毒ガスが出ない。
       (5)故障表示方式は、重故障と軽故障に分ける。
       (6)母線切替モジュールは、当社案提出せるも返事が来ず、納期上問題ある為、そのまま進める。

      9:00商社現地事務所、10:00 KOTAK、10:30 TATA 本社(BOMBAY HOUSE)訪問、6号機増設案件について技術責任者G氏と話し合う。11:30 TCE にて打ち合わせ。15:00 TCE に寄ったあとTOROMBOY火力発電所現地調査及び所員と打ち合わせ。ボイラー循環水ポンプ(CWP)室は海岸の突端にあり、据付前のCWPスイッチギアもこの中にテントに囲われて置いてあったが、コンクリートの壁や床は相当にほこりっぽい。発電所本館の電気室のスイッチギアの故障表示について試験調整の所員が実演してくれたが軽故障ではベルは鳴らなかった。
      19:00頃発電所を退去、20:20 頃、ホテルの OBEROI TOWERS 帰着。21:00 頃から;TajiMahl HOTEL に KOTAK がTATAナンバー・ツーのP博士を夕食に招待、我々も同席。

   11月12日(金) 9:00 OBEROI TOWERS 出発。10:30頃 TOROMBOY 火力発電所到着。13:30 頃まで主として今まで双方議論してきた議事録の内容確認した。その結果、タイプ;してサインしたもの1部受領。14:00〜15:00 TATA 側が我々を昼食に招待してくれた。
      16:00 過ぎに BOMBAY AIR PORT 着。
      18:15 BOMBAY 離陸、AI-306便。途中、DELHI,BANGKOK,HONKONG 経由

   11月13日(土) 13:50 成田空港着。約1時間半遅れ。
      リムジン 成田空港 15:00⇒16:05 箱崎(TCAT)着。
      タクシー 箱崎(TCAT) 16:10⇒17:30 自宅に帰着

▼追記

   海外出張に単身従事すると、ストレスはつきものであるが、敵前上陸で全てを処置せねばならない今回の仕事ほど、緊張の極限を経験したことはない。本社の判断を仰ぐ、なんて気楽な事ではなく、リスクを背負って自分自身で決断しなければならないのだから、これ以上の危機はないといってよかろう。別に生水を飲んだ訳ではないが、滞在半ばくらいから酷い下痢に悩まされ、体調が正常ではなかった。緊急に日本と相談したいと電話を掛けるにも申し込んでつながるまで半日〜1日かかるのだから話にならない。2年後に血中カルシウム濃度の異常高が検出され、副甲状腺機能亢進症で首を切開して患部を摘出するという大手術を受けることになるが、印度出張時のこの体の不調は、今から思えば既に発症していたのかも知れない。製品は出荷・納入されたが、その後6年の会社在勤中にクレームらしい事を聞いていないので、小生の危機突破は何とか成功したのであろう。TROMBAY 500MW 火力発電所5号機の操業状況が今どうなのか、知る由もない。

   最後に当時の使用通貨を記載しておく。1米ドル=266.3円=9.8ルピー BOMBAY空港税=100ルピー、ホテルの枕銭、ドアボーイのチップはそれぞれ 2.0ルピー。中華ランチ30〜50ルピー、夕食インド料理 84ルピー。


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