南洋の密林ボルネオ   8th Sept.,2000 起草
   入社16年目の昭和49(1974)年、今度は南洋のボルネオ島へ業務出張を命ぜられた。何故こんなところへ行くかというと、小生の部署は「火力」に縁があるからだ。前回は地球の火力、メキシコでの地熱発電所の仕事だった。こんどはデイーゼル機関駆動の内燃力発電所の仕事だ。一台というか単機容量としてデイーゼル発電機は小さいものは数百キロ、大きいのは数千キロワットの規模になる。燃料入手さえ容易であれば手取り早く電気を発生させられるので、離島発電はデイーゼル発電所が多いのだ。ちょっと地図がないので説明しづらいが、ボルネオ島は日本の倍の面積を持った大陸と言ってもいい世界で3番目の大きな島で、訪れた各発電所は数千キロワットのデイーゼル発電機がいずれも予備機を含み3〜4台設置されていたように思う。

  仕事の内容は記録も手元になく忘れてしまったが、当社が納入したデーゼル機関速度制御装置のトラブルシューテイング(問題解決)の仕事だったと思う。交渉相手は、マレーシア国のサバ州(SABAH)の電力庁、現地は同庁所轄のコタキナバル、サンダカン、ラブワン各発電所の技術者であった。電力庁の交渉相手はマレーシア人ではなく、何故か西オーストラリアのメーカーから派遣されたお抱え技術者だった。この3発電所相互間は距離が離れていて、密林の中を行く訳にもゆかないので、すべて空路を使った。延べ6日間だったが、移動、現地調査、打ち合わせに、我ながら目一杯の時間を使ったと思う。

  私は終戦当時小学校5年生で太平洋戦争を知らないが、随分昔からこの地には日本がかかわっていたみたいだ。勿論、太平洋戦争の名残を示す艦船の残骸が、付近の風景に不釣り合いな形で錆び付いた姿を曝していた。

  以下に紹介する現地での写真は、コタキナバル、サンダカン、ラブワン各地の何処で撮影したか、今となっては忘却の彼方で記憶が定かでない事を予めお断りしておく。

  当時は世田谷区経堂の都営アパートに住んでいて、家族総出で見送りに来てくれた羽田空港ロビーには、3月3日のお雛様が飾ってあったので、出発間際に撮った若かりし頃の記念写真他をお目にかける。

  言い忘れたが、この時の出張まで円ドルレートは、360円時代であった。

  羽田・雛節句
    1974.03.03

▼全行程

   昭和49(1974)年3月3日10:50羽田発15:20香港着、同日16:20香港発18:45コタキナバル空港着。
   3月4日サバ電力庁にて打合せ
   3月5日コタキナバル発電所現地調査後、サバ電力庁にて打合せ、同日16:00コタキナバル空港
     発 16:50サンダカン空港着。
   3月6日サンダカン発電所現地調査後、同日17:10サンダカン空港発 18:00コタキナバル空港着。
   3月7日7:00コタキナバル空港発 7:30ラブワン空港着、ラブワン発電所現地調査後、18:20ラブワ
     ン空港発 18:50コタキナバル空港着。
   3月8日 サバ電力庁にて各発電所現地調査報告、打合せ。
   3月9日 10:10コタキナバル空港発 15:10香港着、同日18:50香港発 22:30羽田着

▼日本からコタキナバル迄

   昭和40(1965)年初めての海外出張で香港空港は、行き帰りに寄っているので、そんなに不安はなかった。しかし、3月だというのに年中暑い香港・啓徳空港ビルから飛行機迄の連絡バスに乗った時は、目がくらみそうで、背広の中の下着はもう汗でビチャビチャだった。搭乗機は、マレーシア・エアラインで、香港から、ボルネオのコタキナバルを通ってシンガポ−ル迄の三角ラインを往復しているYS−11型に似た双発のプロペラ機で、飛行中は騒音・振動で話しが聞き辛かったように記憶している。

   ボルネオという大きな島は、殆どが密林で、上約半分がマレーシア、下約半分がインドネシアと2つの国に跨っている。そしてマレーシア側の一角に独立の小国であるブルネイ王国があって、ここは、石油原産地国(後年、液化天然ガスも、取れていたと思う)で、国家財政富裕につき国民は税金無し、国民の信頼厚い王様が統治している由であった。

   ボルネオ島上空でコタキナバル空港が近くなり機外はそろそろ夕暮れ時で、見渡す限りの広大なジャングルと蛇行する河川の中に、一カ所青白い煙が天空にむかってたなびいている光景が見られた。これが後にわかったが、現地調査に訪れる当地の重要な電力源・コタキナバル発電所のデーゼルエンジンの排煙だったのだ。風が無いので一直線に天空に向かう煙は、回りのジャングルの緑、夕焼け空の色と相まって幻想的な情景を醸し出していた。

  コタキナバル山
    1974.03.03
  ボルネオ密林
    1974.03.03

 コタキナバル空港
    1974.03.03
 搭乗してきたフライト
    1974.03.03
   コタキナバル市内へ
    1974.03.03

▼日本人戦没者墓地

   ここはサンダカンだったか、ラブワン島であったか、記憶に乏しいのである。古くはジャバユキさん、それに太平洋大戦中に無くなった多くの将兵が眠った大きな墓地を訪ずれた。お墓は皆日本の方向に正面を向けて建立されているとの事であった。

   画像タイトルが要るので、自分で内容から勝手に命名した「無条件降伏碑」は、クリックして拡大画像にすると、英文の中身「この地で、1945.9.9、オーストラリア帝国軍第9旅団軍司令官は、北ボルネオとサラワク地域の日本南方方面第32師団の無条件降伏を受け取った」が読める。

  無条件降伏碑   日本人戦没者碑

  墓地周辺   同左   同左

▼しばし憩いのひととき

   よくぞこんなに遠くの土地まで来たと思う。戦時中以前には遙かな日本に帰りたいと思いつつ無念の思いで無くなった人も多かったものと推察する。豊かな緑、真っ白な砂浜、紺碧の空、こんな豊かな自然を舞台に人間達の凄惨な死闘が繰り広げられたなんて、とても信じがたい事だ。

   ラブワン島での本場の飲(ヤ)む茶の美味しかった事、無事任務を終えて帰途のフライトは小さいながら無税で富裕な王国 ブルネイの空港をトランジットしたが、操縦室が開けっ放しで駐機場から動き出したら滑走路へ行き、待機する間もなく飛び上がったのには吃驚させられた。今のハイジャック時代とは隔世の感がある。

   大木の根と
    海をバックに
  椰子の木のそばで
  南洋の風景   宿泊ホテル
    (だったと思う)


▼知られざるボルネオ

   1974年、出張当時の小生のボルネオについての知識といえば、南洋のジャングル島でオランウータンの原産地くらいの乏しいものあった。今では環境破壊の反省から伐採は、ままならぬ様であるが、当時はラワン材の有名な産地でもあった。

   5年前、ある御縁で「戦後五十周年の中の私」という戦後自分史を雑誌に投稿した。そして4年前、出版社の了解を得て、某パソコン通信のフォーラムに入会したときの挨拶代わりに、その寄稿内容を小生の作品として紹介したところ、文中にボルネオのくだりを見た人と昔話に花が咲いた。

   そうこうしているうちに、当時はまだ現役で会社の帰りにいつも買っていた夕刊F 96/07/10 版に「知られざるボルネオ」、マレ−シア、ブルネイ、インドネシア領に囲まれた"不思議"の島なる記事があった。この中から特徴的なものを拾って同フォーラムに紹介したが、補足の意味で以下に引用する。尚、現在では、日本からのアクセスも便利が良くなっているようだ。殆ど小生の知らない世界であるが、ビジネスを離れて私的な観光旅行をしたい地域の一つである。

     ・赤道直下で世界で3番目に大きな島、面積約75万平方キロメ−トルで日本の約2倍だが、人
        口は750万と東京都の約60%
    ・同じ島をインドネシア側ではカリマンタンと呼ぶ。
     ・世界最大の花・ラフレアシアが咲き乱れている。
     ・絶滅寸前の巨大食虫植物、ウツボカズラの王様で哺虫袋が20センチを超える   
     ・東南アジアの最高峰キナバル山は標高 4,101mでトレッキングで手軽に登れるので日本から
        も多くの登山者が訪れる。奇岩怪石を分け入るように登り、主峰ローズ・ピ−クを目指す。
     ・キナバル国立公園内には第二次世界大戦中に日本軍が開発した露天風呂「ポ−リン温泉」
        があり、入浴出来る。
     ・マレ−シア領はサバ州(州都コタキナバル)とサラワク州(同クチン、クチンはマレ−語でネコ
        の意)がある。
     ・コタキナバルでは南シナ海の島々の眺望が素晴らしいシグナヒル展望台、仏教道教、儒教混
        合の晋陀寺、サバ博物館が主な見所。日没も必見。
     ・コタキナバルのセントラルマ−ケットとカンポンアイル横の野外食堂がお勧め。  
     ・サバ州サンダカンの郊外にはオランウ−タン(マレ−語森の人)保護区がある   
     ・サンダカンの小高い丘の一画にある日本人墓地がありここには「サンダカン八番娼館で知られる日本から連れてこられた「からゆきさん」が眠り、どの墓も東方向の日本に向かって立っている。
     ・サラワク州クチンの町の外のグヌル・ムル国立公園のムル洞窟は大きい。その一つ、全長1キロメ−トル、高さ約120メ−トルのデイアケ−プは「インカ−ン横顔」と呼ばれる洞窟入り口の自然の造型美が見事。
     ・コタキナバル、クチンへは成田からマレ−シア航空がそれぞれ週1便で、コタキナバルへは5時間半、クチンへは6時間40分かかる。

以上


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